今回は、私が母の手料理を食べられず、毎食コンビニ弁当の毎日だった時代の話です。
こんにちは!
私は生後約40日で両親が離婚し母、姉、私の3人家族で生活していましたが、
幼少期から母のネグレクトに受けて育ちました。
ネグレクトを実際に受けていた私の体験談を元にこの記事を書いています。
毎食カップラーメンだったり、そもそも食べさせてもらえないわけではなかったのが唯一の救いでしょうか。
それでは、私の昔話にお付き合いください。
毎食コンビニ弁当だったネグレクト期
学校から帰るとテーブルの上に500円玉
学校から帰ってくると、当然ですが母の姿はありません。
昔の言い方だと、まさに「鍵っ子」です。
テーブルの上には500円玉が置いてあります。
夕食はこれで食べてねってことですね。
500円玉に添えて、母からの書置きメッセージがあることもありました。
「パチンコに行ってくるね、これでご飯食べていてね」
初めの頃は悲しい気持ちになっていました。
これが何日も続くうちに、呆れというか、諦めるようになります。
朝から母が居ない時は1000円
朝から母が居ない時は、テーブルの上に1000円札が置いてありました。
朝早くからパチンコに行く母。
パチンコの何が楽しいの?
食事代を握りしめコンビニに通う毎日
放課後はいつも、近所のコンビニにお弁当を買いに行っていました。
ドリアとぶどうジュースが好きでよく食べていたので、今では思い出の味です。
今でもドリアとぶどうジュースを食べると、ネグレクトにあっていた時期のことを思い出します。
姉妹で保健室に呼び出されることも
小中学時代は、私たちの健康状態を心配したのでしょうか。
保健室に呼び出されて、家での食事を確認されることもしばしば・・・。
姉と二人だったから乗り越えられた母からのネグレクト
私には幸いなことに、年の近い姉が居ました。
おかげでネグレクトにあっていましたが、「寂しい」という気持ちはあまり感じませんでした。
そもそも小学生時代は「ネグレクト」という概念も分からなかったですからね。
毎朝母に聞いていた「ママ、私のこと好き?」
寂しさは感じていなかったとはいえ、あの頃の私は、いつも朝学校に行く前に
「ママ、私のこと好き?」と聞いていました。
母は「うん、大好きだよ」と答えてくれます。
その言葉を毎日聞くことで安心感を得ようと必死だったのかもしれません。
にほんブログ村
コメント